ゲイのアーティスト「キース・ヘリング」が激動の時代に遺した作品たち「混沌と希望」展開催

1990年にエイズで亡くなったキース・ヘリング。ゲイであることをカミングアウトしていた彼の作品は、エイズやベルリンの壁の崩壊といった激動の80年代の混沌とした世相を独特の表現で描き強烈な印象を遺し、今もなお大きな存在感を誇っている。

2022年5月14日(土)から2023年5月7日(日)まで「中村キース・ヘリング美術館開館15周年記念展:混沌と希望」を開催する。

キース・ヘリングを紹介する世界で唯一の美術館

2007年4月、「中村キース・ヘリング美術館」は、ニューヨークを拠点に活躍したアーティスト「キース・ヘリング(1958~1990)」を紹介する世界で唯一の美術館として、八ヶ岳の麓に位置する小淵沢に開館した。

コレクターであり館長を務める中村和男氏は、1987年にニューヨークで「スリー・リトグラフス(ピープル・ラダー)」に出会ったことを機にヘリング作品の蒐集を始めた。

現在「中村キース・ヘリング美術館」ではおよそ300点の作品のほか、記録写真や映像、生前に制作されたグッズなど500点以上の資料を収蔵している。

2022年5月14日(土)から2023年5月7日(日)まで開催する「中村キース・ヘリング美術館開館15周年記念展:混沌と希望」では、新たに収蔵する作品《無題》を中心に、コレクションの核となる約150点を展示する。

「スリー・リトグラフス(ピープル・ラダー)」1985年

「人々が肩車をしてバランスを取っている漫画のような版画作品です。そこにはシンプルで何とも言えないヒューマニティとエネルギーを感じました。」 (中村和男、初コレクション作品について)

「混沌から希望へ」を再考し紐解く

「中村キース・ヘリング美術館開館15周年記念展:混沌と希望」では、開館初年度の展覧会「混沌から希望へ」を再考し、そのコンセプトを紐解く。

1978年、ヒップホップ黎明期だったニューヨークに飛び込んだキース・ヘリングは、白人至上主義のアート界とマイノリティが集うアンダーグラウンドのパーティーが交差するこの街に衝撃を受ける。

それから僅か5年でスターダムにのし上がり、世界を飛び回る最中に「エイズ」を発症。未知のウイルスとの戦いの末に31歳でこの世を去った。

現在でも人々を魅了し続ける彼が遺した底抜けに明るいアートの裏には、混沌とする社会への訴えや内なる苦しみ、希望と自由への強い想いが描かれている。

「イコンズ(ラディアント・ベイビー)」1990年

4.2 JP

ヘリングが描き続けたベイビーやドッグなど5つのイコンを、特殊印刷を用いて象徴的に表現した版画シリーズの1つ。

「無題」1984年

人間の欲望と生への祝福が描かれた本邦初公開となる新収蔵作品。

再び激動の時代を迎えて

1980年代にヘリングが描いたアートには、2022年を生きる私たちが世界に向き合うためのヒントがあると考える。

新型コロナウイルス感染症パンデミックやロシアによるウクライナ侵攻によりこれまでの常識が崩壊したことから、長年水面下で渦巻いていた政治不安や社会問題が明るみになった。

今、価値観の多様化が求められている。ヘリングが生きた時代のように混沌と秩序、絶望と希望が混在する時代の中で、私たちはどう生きるべきか考え直す分岐点にすでに立っているのだ。

「無題(1988年8月15日)」1988年

最後の展覧会のために制作した作品。従来の即興的な描画スタイルから一転し、本作では自身の傑作を目指して生涯培ってきた技術を結集させた。

「無題(サブウェイ・ドローイング)」1981-83年

ヘリングを一躍有名にしたプロジェクト「サブウェイ・ドローイング」は、ニューヨーク市地下鉄で1980年から約5年間制作された。

「永遠に続く」とぼんやり考えていた価値観が崩壊し、多様性が重視される、どこか不安定な今の時代。キース・ヘリングが遺した作品と向き合うことで、自ら希望を見出すことができるかもしれない。

中村キース・ヘリング美術館
所在地:山梨県北杜市小淵沢町10249-7
休館日:定期休館日なし ※展示替え等のため臨時休館する場合がある
開館時間:9:00~17:00(最終入館16:30)
観覧料:(大人)1,500円 
公式サイト:https://www.nakamura-haring.com/

All Keith Haring Artwork ©Keith Haring Foundation
Courtesy of Nakamura Keith Haring Collection.

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