「ゲイ・バイ男性に聞きたい」家族へのカミングアウト、する? しない?

切っても切れない繋がりだからこそ、ゲイ・バイセクシュアル男性にとって家族への「カミングアウト」は大きな問題。それぞれに異なる、家族へのカミングアウト物語をシェアしていきたい。

家族にはカミングアウトしないと思っていた

カミングアウト物語
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今日は筆者の、家族へのカミングアウトを記す。

1964年生まれのアラ還の筆者は、男三人兄弟の末っ子として九州は大分県、別府で育った。男に目覚めたのは小学校高学年の頃。「性への目覚め」が男への目覚めだったわけで、女性に対して性的な感情を抱いたことは一度もない。

中学・高校時代、いわゆる思春期を過ごしたのは1977年~1983年にかけてのこと。自分が男が好きだということは家族にはひた隠しにしていたが、その頃に家族が発した印象的な2つの言葉があった。

それがどういう流れで発されたのかは覚えていないが、一つは父が「男は結婚して子供を作って一人前だ」と言ったことと、もう一つは長兄が「ホモは許せない」と結構激しい口調で言ったことだ。

それを聞いて「家族には一生、自分が男好きだと話すことはないだろうな」と、ぼんやり思っていた。

カミングアウトするための帰省

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そんな筆者だが、30歳になる年からゲイ雑誌の編集職に就くことになる。

前職を辞めた直後に声をかけてもらい、アルバイトのつもりで創刊号に関わってみたら、これが面白くて。ゲイだからこそ読者のニーズを実感することができるし、なにより自分が「いい!」と思った人や物事に対して共感してくれる読者がいることがなにより嬉しかった。ということで、腰を落ち着けて仕事に取り組みはじめた。

仕事を始めて2年半ほどした頃、遅い夏休みをとることにした。9月後半に一週間休みをもらい、まずは沖縄に行き、帰りに当時は北九州に住んでいた父母の家に寄る予定を組む。仕事のこともあるし、結婚しないことでヤキモキさせるのも悪いから、この機会にカミングアウトしよう。そんな思いを抱えての帰省だった。

ところが、北九州に着いたその日に父が肺炎のような症状で入院した。病院に見舞いに行ったあと、家で母と食事をとっていると、母が「このままお父さんにもしものことがあったら、母さんはどうすればいいんだろう」とポツリ漏らす。

即座に「僕は結婚する予定も、結婚する気もないから、もしもの時は東京に越してきて一緒に暮らせばいいじゃない」と答えていた。二人の兄も関東に住んでいるし、母が東京に来て一緒に暮らすことが一番自然だと思ったからだ。

同時に『父さんのことを心配している今、カミングアウトするのはフェアじゃないよな』と思い、その日はカミングアウトしないことにした。

母にはカミングアウトしないと決める

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ところが、それから三週間で父は亡くなってしまう。その間、平日は筆者が帰省し、週末は兄二人が帰省していた。

肺炎の症状が悪化した父が挿管して呼吸管理をしなければならない、という状況になったのは平日のこと。病院から連絡をもらい駆けつけた筆者に対し、咳き込んで苦しそうな父が残した最後の言葉が「母さんを頼む」であった。

もし父が亡くなり、母と東京で同居することになったらその時にカミングアウトすればいいか、と考えていたのだが、この時、「これは母にはカミングアウトするな」ということかと感じた。

そんなことがあり母と東京で同居を始めてから、仕事は「編集プロダクション」に所属している編集者だ、という説明でお茶を濁し続けた。「一体、何の仕事をしているのかよく分からない」と訝しがれていたが、詳しく話すことはしなかった。

しかし一度、真面目な表情の母に「結婚しないのは、母さんが一緒に暮らしているせいなの?」と詰問されたことがあった。

カミングアウトした方が母のストレスが減るのだろうか、と一瞬迷ったが、「僕はわがままだから他人とは暮らせない。母さんだから一緒に暮らせるんだよ。だから結婚なんて考えてないし、母さんのせいじゃないから心配しないで」と答えた。

それを母が鵜呑みにしてくれたかどうかは謎だが、結婚の話はそのあと一回も持ち出されることはなかった。

二人の兄にカミングアウトする理由

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母と同居して17年が過ぎ、50歳になる直前に雑誌編集者の職を辞することにした。フリーランスのライター・編集者として仕事していくことにしたのだが、ひとつ危惧することが生じた。

ゲイ雑誌の編集者の頃は、当初は誌上に本名を載せていなかったので、ペンネームの方を知っている人が多く、ネット上でもペンネーム(ハンドルネーム)で書かれることが一般的だった。

フリーランスで仕事をしていくにあたり本名で執筆することを決めたのだが、ゲイ関連や性的少数者のことに関して書く機会もあるだろうと考えた。

そうすると、兄や兄の家族、または親戚がネットで「冨田格=ゲイ」と紐づいた検索結果を見ることになるかもしれない。人づてに聞くよりは、自分で話す方がいいだろうと考え、二人の兄にカミングアウトすることを決めた。

兄たちの反応それぞれ

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「ちょっと話したいことがあるんだけど」と、2人の兄を池袋の居酒屋に呼び出した。

こんな形で声をかけることなどそれまで一度もなかったので訝しがる兄たちに、「実はゲイなんだ」と伝えた。ゲイ雑誌の編集者をしていたことや、これから本名で仕事するので「冨田格=ゲイ」とネット検索で知るかもしれないと思ったから直接話そうと考えたことなど、率直に伝えた。

次兄は「なんとなくそんな気がしてた」と笑い、長兄は予想外のことだったようで少々戸惑いつつも「エイズに気を付けろよ」と当時還暦前後の世代が言いそうなことを口にしただけで、否定的な言葉は出てこなかった。

長兄はどこか安堵したような表情で、「実は、お前から呼び出されるのは初めてのことなので、どんな話なのか夫婦で色々想像した結果、結婚するとか、結婚するから母さんと暮らせない、と言うのではないかということが有力だったんだ」と言う。

そこかい! と思いはしたが、それに比べれば筆者がゲイだということは大したことないと思ってくれたなら、それはそれでよかったのも事実。

長兄に「昔、『ホモは許せない』と言っていたから一生カミングアウトできないと思っていたんだよ」と話すと、そんなことを言ったことすらまったく記憶になかったようで、キョトンとしていたのは印象深い。

最後まで母には伝えることがなかった

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その後、母に伝えるべきか否か、という話になった。兄たちには、先述したように自分がなぜ母にカミングアウトしていないか、ということを伝えた。

次兄が「母さんの性格からすると、『私の育て方が悪かったのでは』と悩んだりするんじゃないかな」と言う。母のせいではないし、そんなことで責任を感じられたらたまったものじゃない。長兄も次兄の考えと同じだったので、母にはカミングアウトしないままにする、という結論となった。

そんな母も昨年亡くなり、最後まで筆者がゲイだとは知らないままだった。もしかすると気づいていたものの何も言わなかったのかもしれないが、真相をすべて知る必要もないと思っている。

筆者は、親にはカミングアウトしない、兄弟にはカミングアウトする、という決断をしたが、家族へのカミングアウトは、当事者本人の状況や、家族の状況・関係性などで一概に何が正解かを語ることはできない。

だからこそ、より多くのゲイ・バイ男性の「家族へのカミングアウト」物語を聞いてみたいと考えている。カミングアウト物語を共有してもいいと思う人は、アンケート・フォームからあなたのカミングアウト体験をぜひ教えてほしい。

■ジオ倶楽部・読者アンケート
「ゲイ・バイ男性に聞く『家族へのカミングアウト』問題」

日本全国のゲイ・バイセクシュアル男性には、それぞれ異なる事情があるものです。家族との関わりも、また同じ。カミングアウトする・しない決断をなぜしたのでしょうか。カミングアウトしてみたら、家族の反応はどうだったでしょうか。「それぞれが持つ、さまざまなカミングアウト物語を全国の読者と共有したい」そんな思いから、アンケートを実施することにしました。

カミングアウト家族に関して、あなたのリアルな声を聞かせてください。

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(冨田格)

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