【もしかして?】ボーイズラブになり損ねた青春時代の淡い恋愛話
誰にも青春時代はある。しかし、漫画。小説やドラマや映画のような青春を体験する人は決して多くない。もしかすると恋愛経験がなさすぎて、恋のきっかけに鈍感だっただけかもしれない。今思えば、「あれは恋の始まりだったのかも」と思えるエピソードを集めた。
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あれは「恋のきっかけ」だったのかも
キラキラした青春とは縁遠かったゲイ・バイ男性は少なくないはず。誰もがボーイズラブやドラマ『ハートストッパー』のような恋愛を経験できるはずもない。
でも、歳を重ね、それなりに恋愛経験を重ねたうえで振り返ると、「あれはもしかして恋のきっかけだったのかも」と感じる思い出を持つ人もいるようだ。
日本と米国、環境や状況は違っていても、ゲイ・バイ同士なら共有できる思い出もきっとある。日米ゲイ・バイ男性が、冴えないと思い込んでいた自分の青春時代に見逃していた「恋のきっかけ」だったかもしれないエピソードを紹介する。
体育会男子からの誘いに応じなかった
米国の文化系ゲイの思い出。
「高校時代のこと。運動嫌いで文化系だった僕は、体育会の奴ら(ジョックス)が苦手。何かあると僕をからかったり、いじめたりしてくるから。
ところがある日のランチタイム、外のベンチでピーナッツサンドを食べていたら、アメフト部の彼が声をかけてきた。そして、『今度、コンサートに行かないか』と誘ってきたんだ。
びっくりしたよ。だって、彼とはそれまでまともに話したこともないんだから。びびって『行かない』って断ったら、彼はちょっと寂しそうな顔をして去っていったんだ。
このことが、卒業してからも心にずっとひっかかっていたんだ。そして大人になった今なら分かる、彼は僕に興味があったんだってことが」
自分だけを助けてくれた先輩
次は昭和の頃の日本の体育会男子の思い出。
「高校に入学して、すぐにラグビー部に入部しました。3年の先輩は3人しかいなくて、フォワードが足りない状態。同期の中で一番デカかった自分は、最初からフォワードのレギュラーにに加えられて、先輩たちと毎日スクラムの練習をさせられました。
3人の3年の先輩のうち、フォワードは2人。ひとりは強面のキャプテン、もう一人は大人しいAさん。Aさんは3年の中では”いじられキャラ”で、体がデカくても気弱な雰囲気の人でした。
春のリーグ戦が終わり、3年の先輩が引退された後で、2年と1年の間で揉め事が起きて、1年部員の多くが部を辞めました。自分もその時に辞めた一人です。
このままでは示しがつかないと思った監督が2年の先輩に指示して、辞めた1年を一人ずつ順番に部室に呼び出し、部に戻らないなら鉄拳制裁を加えていました。
そして最後に呼び出されたのが自分です。部室に入ると、2年の一番怖い先輩を中心に3人の先輩に囲まれました。『殴られる』と覚悟していたら、突然、引退した3年のAさんが部室に入ってきました。
忘れ物を探しにきたという体でしたが、一番怖い先輩に『殴るなよ』と言って部室を出て行きました。いつもは気弱な雰囲気のAさんでしたが、その時は後輩に対する迫力がありました。
すっかり気圧された2年の先輩たちは、『殴らなかったのはお前だけだ』と言って自分を解放してくれました。紆余曲折ありその後、自分は部に復帰しました。
以降、Aさんが卒業するまで、校内ですれ違うときは『押忍』と挨拶をするのですが、そのたびに気弱そうな、照れくさそうな笑顔を見せてくれました。
あのときAさんはなぜ自分だけを助けてくれたのか。あれは、恋のきっかけだったのでしょうか?」
言ってくれればよかったのに
再び米国の高校時代の思い出。
「高校時代、キラキラした思い出なんて何もなかった。あれは、まるで魂が締め付けられるような孤独な時間だった。
本当に何にも参加しなかった。友達の家でのパーティーも、プロムにも。誰も誘ってくれないし、僕が行っても場違いなだけだって思っていたから。
でも、ずいぶん後になってから、そうSNSをみんなが使うようになってから、1つ下の男子が高校時代に僕に熱を上げていたらしいことを知った。
ちょうど、僕が40歳のときにDMを送ってきて、高校時代から抱いていた気持ちを告白してくれた。当時は全然気づいてなかったから驚いた。それと同時に、『あの時に言ってくれれば』って思ったよ。
そうしたら、僕の高校時代がキラキラしたものになっていたかもしれないのにね」
さて最後に、読者のみなさんは青春時代に実現しなかった淡すぎる恋の思い出はあるのかを尋ねてみよう。
※参考記事:QUEERTY
(冨田格)
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