昭和~平成、日本のゲイの出会い方はどう変わってきたか?【後編】

昭和から平成の、日本のゲイの出会い方の変遷を振り返る前後編。前編では、「昭和時代」と「平成元年(1989年)~平成10年(1998年)」を振り返った。

手紙(文通)から電話(伝言ダイヤル・Q2)へと出会いの速度はあがっても、アナログでどこか牧歌的だった時代のゲイの出会い方。

後編は、「平成11年(1999年)~平成20年(2008年)」と「平成21年(2009年)~平成31年(2019年)」。21世紀の日本のゲイの出会い方が、アナログからデジタルへ移行していく大変革期を振り返る。

【再掲】昭和~平成、日本のゲイの出会い方はどう変わってきたか?【前編】

昭和から平成、ゲイの出会い方の変遷
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<平成11年(1999年)~平成20年(2008年)>
インターネット、携帯、写メール、SNS…ゲイの出会いの技術革命

昭和から平成、ゲイの出会い方の変遷
※平成中期の10年間は老舗ゲイ雑誌が相次ぎ休刊(さぶ・ 2001年、薔薇族・2004年)。月刊ゲイ雑誌はサムソン・バディ・G-menの3誌体制に。

ゲイの出会い方が大きく変貌したのが、平成中期の10年間だ。

「インターネット」

平成7年(1995年)Windows95以降、パソコンを使ってインターネットを利用する人が激増した。

ゲイの中でもパソコンで海外のエロ画像を収集する人が増えたり、またゲイ専用パソコン通信「GunHEAD/BBS」(のちの「GAVIE/ガーヴィー」)を始める人や、自分の専用サイトを作ってネットアイドル化していく人も現れ始めた。

とはいえ、ゲイの間でインターネットが普及し始めた、とまではいかない。まだまだ一般人にとってパソコンを活用することはハードルが高く、そのハードルを乗り越えるための起爆剤を必要としていた。

「iモードと写メール」

平成11年(1999年)、ドコモがガラケー向けに始めた携帯電話IP接続サービス「iモード」が大ヒット。他キャリアも次々と参入して、パソコンを持たなくとも携帯電話でインターネットにアクセスできるようになった。

昭和から平成、ゲイの出会い方の変遷

これにより、パソコンには二の足を踏んでいた自称「機械オンチ」なゲイたちが、一気にインターネットを使い始めることになる。

そして翌年平成12年(2000年)、J-PHONE(現・ソフトバンク)がカメラ付きケータイ(通称・写メール)を発売。ゲイの多くがこの写メールに飛びつき、機種変更する人が続出。

一時は「ゲイのケータイはJ-PHONE」と呼ばれるほどにユーザーが激増した。ドコモ、auもこの流れに後追いしてカメラ機能はほとんどのガラケーに装着されるようになった。

「iモード」と「写メール」の普及によって、ゲイの間ではインターネットの「掲示板」を使っての出会いが一挙に広まっていった。

iモードをはじめとする携帯電話IP接続サービスの普及によりインターネットを使うゲイが激増したことで、携帯専用もしくは PC/携帯兼用の「出会い掲示板」が続々と作られていった。しかもほとんどの掲示板は、個人によって作られた無料で利用できるものだ。

「掲示板」とは、いわば「文通欄」のweb版。自分のプロフィールや求める相手を記載したメッセージを掲示板にアップ。それを見た人がメールを送ってきて、やり取りが始まる。その際に重要なのが、体や顔の画像交換をしてお互いに好みであるかどうかの事前確認をすることだ。

そこで威力を発揮するのが「写メール」。現在のスマホでのインターネット利用と違って、携帯電話IP接続サービスでは送受信できる画像サイズには制限があった。

デジカメで撮影した画像の場合は、自分で加工してサイズを縮小しないと送受信できない。その点、カメラ付き携帯電話で撮影した画像は、ガラケーでそのまま送受信できる。

「iモード」と「写メール」によって、一気にインターネットを使った出会いを利用するゲイが増加していった。

昭和から平成、ゲイの出会い方の変遷

「携帯ホームページの流行」

「魔法のiらんど」に代表される携帯用無料ホームページ作成サービスの開始によって、個人の簡易ホームページが簡単に作れるようになった。PCできちんとしたホームページを作ることのハードルは高かったが、携帯用無料ホームページの作成は実に容易。自分の携帯ホームページを作り、交流の輪を広げていくゲイも目立った。

ここでもカメラ付き携帯電話は大いに活用された。自撮り画像を公開することでネットアイドル的存在となり人気を集めるゲイも多く出てきた。一般のゲイが自分の画像(体や顔)をインターネットで公開するハードルが下がったのは、この時期からだ。

「mixiが変えた『県境』という概念」

平成16年(2004年)3月にサービス開始したSNS「mixi/ミクシィ」に最初に飛びついたのはPCを利用するゲイだった。

サービス開始当初は

・完全招待制
・登録にはPCメールアドレスが必要(後に携帯メアドでOKとなる)

という厳しい条件があったことでフルオープンではない安心感があったのか、自分はゲイだと明らかにした上で顔出しで登録して、ゲイのみとマイミクとして繋がっていくユーザーが増えていった。

昭和から平成、ゲイの出会い方の変遷

「mixi/ミクシィ」の誕生は、ゲイの出会い方を根本的に変えることになる。

ゲイバー、文通欄、ネット掲示板など、それまで主流であった出会い方は、基本的に「近くに住んでいて、会う機会のある人」と交流することを目的としていた。文通欄なら同じ市内・県内に住んでいる人を探すし、伝言ダイヤルや掲示板は県別に分かれていた。

ところが「mixi/ミクシィ」を使い始めマイミクの輪が広がっていくと、住んでいる距離の遠近は関係なく、日本中にゲイの友人ができていく。北海道と九州であろうとも、ネット上でマイミクになって交流するには何の支障もない。

マイミクとネット上での交流を深めていくうちに、こう思う人が増えていった。

「せっかく仲良くなったのだから、実際に会ってみたい」

知り合いもいない初めての土地は心情的に遠い場所だが、そこに会いたい人がいるならば心情的な距離は縮まるというもの。国内を旅してマイミクとリアルする(実際に会うこと)、そんな休日の使い方をするゲイがこの時期から一気に増えていった。

「mixi/ミクシィ」によって、ゲイの交流から「県境」という概念が消え、行動半径が大いに広くなっていったのだ。

アナログからデジタルへ、出会いの技術革命

平成11年(1999年)~平成20年(2008年)の10年間で、日本のゲイにとって出会いの概念が大きく変わった。

それ以前の文通や電話などアナログな出会いから、iモードや写メール、SNSとインターネットを駆使したデジタルな出会いが主流となった。より多くのゲイと出会える確率が高くなり、リアルできる可能性も高まったことで、ゲイの行動半径がグンと広くなっていったのだ。

<平成21年(2009年)~平成31年(2019年)>
スマホ、Facebook、GPSアプリ、SNS…国境を超えた出会いへ

昭和から平成、ゲイの出会い方の変遷
※平成最後の10年間もゲイ雑誌は相次ぎ休刊(G-men・ 2016年、バディ・2019年)。月刊ゲイ雑誌はサムソンだけが令和まで生き残った。

平成最後の10年間は、スマホの普及によってゲイの出会い方がさらに大きく変わっていった激動の時代だ。

「Facebook」

「mixi/ミクシィ」の普及以降SNSに対するハードルが低くなり、続いて登場した「Twitter/ツイッター」も浸透し始めた頃、平成22年(2010年)に日本法人「Facebook Japan」が設立。

当初、本名での登録は日本人には合わない、という声も多く全般的に苦戦していた。しかし、ゲイの中では着実にFacebookユーザーが増えていた。

その理由の一つは、2003年から毎年秋に台湾の首都・台北で開催されているプライドパレード「台湾同士遊行」だ。当初は、小さな規模のパレードだったが、年々規模が拡大していく。

昭和から平成、ゲイの出会い方の変遷
「台湾同士遊行」 撮影:冨田格

「台湾同士遊行」をきっかけに、親日というイメージが強い台湾に行ってみたいというゲイが激増した。

実際に台湾に行き現地のゲイと仲良くなると、連絡先などの交換をするのが普通。とはいえ、言葉の壁があるので電話やメアドの交換をしても意味がない。日本人同士なら「マイミクになる」という手段もあるのだが、「mixi/ミクシィ」はあくまで日本人ユーザーが中心。

まだLINE誕生前夜(2011年β版がスタート)であり、日本でも台湾でも共通で使えるSNSは「Facebook」だった。

「Facebookを使うとカッコいいアジア人と仲良くなれるようだ」

という口コミは驚くほど早く浸透して、ゲイの間でFacebookユーザーは増えていった。実際、日本人に興味がある中華系・韓国・タイなどのゲイは少なくないので、国境を越えた友達リクエストの応酬は盛んに行われ、アジア人との交流が深まっていった。

そこから先は「mixi/ミクシィ」とまったく同じ流れ。

Facebookフレンドとのネット上での交流を深めていくうちに、こう思う人が増える。

「せっかく仲良くなったのだから、実際に会ってみたい」

日本のゲイの出会い方は、「mixi/ミクシィ」によって『県境』という概念がなくなり、「Facebook」によって『国境』という概念がなくなったのだ。

昭和から平成、ゲイの出会い方の変遷

その後、円安からインバウンドの拡大で訪日外国人が増加していく流れとリンクするように、「Facebook」と翻訳機能が優れている「LINE」を併用して、アジア人ゲイと交流することが珍しいことではなくなっていった。

「GPS出会いアプリ」

iPhoneが発売されるとゲイの間ですぐに浸透した大きな理由はゲイ向け「GPS出会いアプリ」の存在だ。自分のいる場所を中心に周囲にいるゲイを検索できる、という発想はそれまでの出会い方にはなかったもの。

昭和から平成、ゲイの出会い方の変遷

「GPS出会いアプリ」によって、より多く・より早く・より手軽に、出会うことができるようになっていった。

当初は欧米発のアプリばかりだったが、あまり時間をおかずに複数の日本発「GPS出会いアプリ」が立て続けにリリースされ始めた。その中でも、欧米発のアプリにはなかったギミックを搭載した「9monsters」が圧倒的な人気を集めるようになり、日本市場を席巻した。

日本発とはいえ、英語・中国語にも対応しているので、日本人に興味のあるアジア人ゲイのユーザーも増加していき、平成最後の時期は「GPS出会いアプリ」がゲイの出会いの王道となっていった。

GPS出会いアプリが日本のゲイの情報インフラへ

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平成最後の10年間は、国境を超えた交流が盛んになる時期だった。日本人ゲイの行動半径は、ますます広がっていった。

そして、ゲイの情報媒体として存在していたゲイ雑誌がその役目を終え、「GPS出会いアプリ」が情報媒体としての役目を担っていくようになった節目の期間でもあった。

そして令和は動画の時代になるのか

昭和から平成、ゲイの出会い方の変遷
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こうやって振り返ってみると、まるで仕組まれていたかのように平成時代は10年ごとにゲイの出会いに大きな変革があったことに気づく。昭和の最後から、平成の30年間でここまで大きく変わっていた日本のゲイの出会い方。

果たして令和時代は、どう変わっていくのだろうか。

「9monsters」がYou Tubeチャンネルに力をいれたり、「TikTok」や「OnlyFans」などを使う人が増えたりと、画像から動画へと時代が変わってきている。

令和4年の現時点では、まだ動画作成のハードルを高いと感じる人も多いが、かつて「iモード」や「写メール」の登場でインターネットのハードルが大きく下がったように、動画編集のハードルが一気に下がる可能性もある。

変化と進化を続けているゲイの出会い方が、令和はどう変わっていくのか、今後も注目していきたい。

※台湾同士遊行:https://www.taiwanpride.lgbt/

(冨田格)
編集者・ライター/元ゲイ雑誌編集長(月刊G-men)

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