サブスク配信でゲイ映画「パワー・オブ・ザ・ドッグ」 埋められぬ世代間のギャップが切ない
Netflix、Amazon Prime、Disney+、Hulu、U-Nextなど、サブスクリプション配信で映画やドラマを楽しめるプラットフォームは増える一方。
そのおかげで、日本で見られる映画やドラマの数は一挙に増加。そんな配信で見られるコンテンツの中から、ゲイが主役または重要な役割を担う作品を連続紹介する連載コラム。
第三回「パワー・オブ・ザ・ドッグ」
アカデミー監督賞を受賞した話題のNetflixオリジナル映画「パワー・オブ・ザ・ドッグ」を、ゲイ視点で見ることで発見した魅力と切なさを解説する。
目次
・この映画を50文字以内で表してみる
・ネタバレほぼなしの作品解説
・物語
・クレジット
・ネタバレありの率直感想
この映画を50文字以内で表してみる
昭和のさぶ野郎親父 vs Z世代の意識高い系G。世代間の埋められぬギャップの深さと親父の孤独が切ない。(49文字)
ネタバレほぼなしの作品解説
「ドクターストレンジ」「シャーロック」ことベネディクト・カンバーバッチが主演。監督は、「ピアノ・レッスン」で女性として初のカンヌ国際映画祭パルムドールを受賞したジェーン・カンピオン。
1920年代のアメリカ・モンタナ州を舞台に、傲慢で硬派なマッチョ牧場主と彼の弟嫁とその連れ子との緊迫した関係を描く人間ドラマ。
米国のゲイにとってアイコンである「カウボーイ」。この映画の舞台は、「ブロークバック・マウンテン」よりもさらに40年前であり、「ゲイ」であることのタブーさはさらに過酷。そんな時代に、ゲイはどういう生き方をしていたのか、を考えさせられる側面もある。
全体的に静かで落ち着いたトーンで物語は描かれるが、どこか不穏な空気が存在し続けている。晴れた屋外なのに、どんよりした印象を与えられるような。
役者の演技は総じて素晴らしい。「ドクターストレンジ」とも「シャーロック」とも違う複雑さで様々な表情を見せるベネディクト・カンバーバッチは、嫌なキャラクターだがなんとも魅力的。感情を露わにはしないコディ・スミット=マクフィーが見せる冷たさには背筋が凍る。
2021年・第78回ベネチア国際映画祭コンペティション部門で銀獅子賞(最優秀監督賞)を受賞。2022年・第94回アカデミー賞では最多ノミネート作品となり、ジェーン・カンピオン監督が、女性では史上3人目となるアカデミー監督賞を受賞した。
Netflixオリジナル作品で、2021年12月1日から配信開始。それに先立ち第34回東京国際映画祭(2021)のガラセレクションで上映後、11月19日から一部劇場で公開した。
物語
1925年のモンタナ州、フィルとジョージのバーバンク兄弟は、牧場の経営で成功を収めていた。
兄弟は牛追いの道中、宿屋のオーナーで未亡人のローズ・ゴードンと、その息子ピーターと出会う。ジェンダーレスな雰囲気のピーターが作った造花を、フィルは馬鹿にして火を付ける。心優しいジョージは、ショックを受けたローズを慰め、心を通わせるようになり、結婚を申し込む。
結婚したローズは兄弟の牧場に引っ越し、ピーターは医学と外科学を学ばせるために大学へ通わせるる。しかし、フィルは、ローズが金目当てでジョージと結婚したと勘繰り、嫌悪感を抱くようになる。
夏休みになり、ピーターが牧場に滞在するために訪れると、ローズはアルコール依存症になっていた。ピーターは捕まえたウサギを持ち帰り酔ったローズを喜ばせるが、それはペットにするためではなく解剖するために捕まえたのだった。
ある日、人里離れた空き地で、フィルはブロンコ・ヘンリーが遺したスカーフを用いて自慰行為をする。その頃、牧場の周りを散策していたピーターは茂みの中に空き地があることを発見、そこに建つ古びた小屋で、ブロンコ・ヘンリーの名が記されている男性のヌードが載ったスポーツ雑誌を見つける。
事後、池でスカーフを首に巻いて水浴びをしていたフィルは、ピーターの気配を察して追い払うのだった。
クレジット
監督・脚本:ジェーン・カンピオン
出演:ベネディクト・カンバーバッチ、キルステン・ダンスト、ジェシー・プレモンス、コディ・スミット=マクフィー ほか
公開日:2021年11月17日(アメリカ)
原題:The Power of the Dog
イギリス・カナダ・オーストラリア・ニュージーランド・アメリカ合作/128分/Netflix配給
Netflix:https://www.netflix.com/jp/title/81127997
【警告】
ここから先は、かなりのネタバレ注意です。
あらかじめご了承ください。
ネタバレありの率直感想
『パワー・オブ・ザ・ドッグ』に関しては、枕詞のように「有害な男らしさが…」と語り始める論評が多い。しかし、ゲイの観点で見ると「有害な男らしさ」というよりも、「有害なオネエ根性」と評する方がしっくりくる。
ベネディクト・カンバーバッチが演じるフィルは、ガタイがデカくマッチョであり、荒くれ男たちを率いるリーダー、風呂嫌いで女性蔑視の硬派。外から見るイメージはたしかに有害な男性性を身に纏っているようだ。
しかしフィルは、本来の意味の「硬派」であって、つまり「女色を卑しむべしものと排する」男好き。ブロンコ・ヘンリーのいわば「お稚児さん」として男色を仕込まれた。
フィルが風呂嫌いなのは、ブロンコ・ヘンリーに仕込まれたフェチが「汚れ」だったのだと思われる。2人にとっての聖域である森の中で交わってから水浴びをするのが、愛のしきたりだったのだろう。
ブロンコ・ヘンリー亡きあとのフィルにとっては、側に弟がいて、周囲を荒くれカウボーイたちで囲めた暮らしは、いわば自分を守る鎧であり、聖域だ。カウーボーイたちが女性と遊ぶときも、自分はそこには加わらず、女性との接点は最小限にしている。
そんな自分の聖域に侵入して弟を奪おうとするローズを敵視するのは、自分のモノが奪われてしまうという理不尽なワガママが為せる「オネエの嫉妬」。そして、フィルがローズに対して行う嫌がらせはことごとくオネエっぽくて、そこにいわゆる「男らしさ」が微塵も感じられない。
例えば「弟が子連れ女性にたぶらかされていると両親に告げ口する」とか、「ローズにハマっていく弟に対して女性蔑視の暴言を吐く」とか、「さして上手くもないのに人前でピアノを弾かねばならなくなったローズがたどたどしく『ラデツキー協奏曲』を練習していると、フィルが流暢なバンジョーの演奏で被せてくる」など。
フィルは、実は弟よりも遥かに学業優秀なインテリであり、楽器も上手で芸術の才にも恵まれている。粗野でバンカラなイメージは「素」ではなく、作り上げた「男らしさ」というところも、なんともオネエ的。
フィルの嫌がらせには、暴力的な行為は一才なく、すべて精神的にネチネチ追い詰めていく手法。「これ、オネエのやり口よね」と鑑賞しながらニヤニヤしてしまったオネエさんたちも少なくないはずだ。
そんなオールドスタイルの野郎オネエ「フィル」に対峙するのが、時代にアップデートされたジェンダーレス男子「ピーター」だ。
いわば、昭和世代の「さぶ野郎」親父 vs Z世代の「意識高い系G」、という構図。
昭和世代のフィルは自分が籠絡された手法でピーターを洗脳してローズから引き離そうと試みていくが、そんな古風な手法はZ世代の意識高い系に通じるはずもない。フィルの掌の上で踊っているかのように見せながら、その心はピシャリと閉ざしたまま。
ピーターのなかで「絶対許せない相手」であるフィルに対する計画の周到さは、ある種サイコパスだと思わせるほどの冷酷さ。
傲慢な男でありながらも最愛のブロンコ・ヘンリー亡き後のフィルの孤独の深さを想像して、どこか共感してしまう昭和世代の筆者としては、Z世代には自分が経験してきた手法は通じないという現実を突きつけられたように感じ、観賞後にはただ苦い思いが残ってしまった。
ゲイ視点で見ると、表面上で描かれていることだけじゃなく、その裏に潜む「思い」や「孤独」や「性癖・フェチ」まで想像できてしまう興味深い作品だ。
Netflixオリジナル作品なので、当面はNetflixでのみ配信だが、一部の映画館では上映しているのでスクリーンで見ることもできる。
(冨田格)