サブスク配信でゲイ映画「ダンサー、そして私たちは踊った」 現代でもゲイが禁断の国だから描ける原風景
Netflix、Amazon Prime、Disney+、Hulu、U-Nextなど、サブスクリプション配信で映画やドラマを楽しめるプラットフォームは増える一方。
そのおかげで、日本で見られる映画やドラマの数は一挙に増加。そんな配信で見られるコンテンツの中から、ゲイが主役または重要な役割を担う作品を連続紹介する連載コラム。
第四回「ダンサー、そして私たちは踊った」
東欧の国ジョージアを舞台にしたゲイの青年の物語「ダンサー、そして私たちは踊った」がU-NEXTで見放題がスタート。
目次
・この映画を50文字以内で表してみる
・ネタバレほぼなしの作品解説
・物語
・クレジット
・ネタバレありの率直感想
この映画を50文字以内で表してみる
今も同性愛が禁断であるがゆえに成立した古風な物語と、そんな国のゲイコミュニティに懐かしさを覚える。(49文字)
ネタバレほぼなしの作品解説
ジョージアは、もともとソビエト連邦に属していて、1991年に独立した南コーカサスにある共和制国家。「グルジア」という呼び方が一般的だったが、2015年以降は「ジョージア」と表記するようになった。
ワイン発祥の地でもあるジョージアは、大相撲の力士・栃の心や、松屋のグランドメニューになり知名度が高くなった料理「シュクメルリ」で、その存在を意識し始めた人も多いはずだ。
ジョージアの代表的な伝統文化が、民族衣装を身に纏い踊る「ジョージアンダンス」。そのスピード感と迫力を堪能できる映画が「ダンサー、そして私たちは踊った」だ。
ジョージアの舞踊団を舞台に、男性ダンサーが同性愛に目覚める姿を描いていくこの作品は、才能あふれるライバルと切磋(せっさ)琢磨する主人公を描く青春ドラマでもあり、ゲイであることが受け入れられない環境の中で悩み苦しむ恋愛映画でもある。
日本での公開は、2020年2月21日。コロナ禍が広まり始めた最悪のタイミングであったため実際に映画館で鑑賞できた人は決して多くないが、埋もれさせてしまうのはもったいない魅力に溢れている作品だ。
物語
ジョージアの民族舞踊”ジョージアンダンス”を踊る国立舞踊団でダンサーを目指すメラブ。素晴らしいダンスの才能に恵まれ、努力も怠らない真面目なタイプだが、周囲の男子たちとは醸し出す雰囲気が異なっていた。
舞踊団のダンサーとして期待されるマッチョな男性像には程遠いフェミニンな雰囲気ゆえに、指導者には「女っぽい! ナヨナヨするな!」と叱責されている。
メラブの兄も同じ舞踊団に所属しているが、メラブに比べると今一つダンスに熱が入っていない様子。メラブの家は決して裕福ではなく、舞踊団の練習後のメラブは地元のレストランで給仕のアルバイトをしながら家計を支えていた。
過酷な毎日の中、高給が期待できる舞踊団の一軍・メイン団を目指して努力するメラブの前に現れたのは、地方から入団してきたイラクリ。男性的で踊りの実力もあるイラクリは、メラブにとってはメイン団の欠員補充の座を争うライバルでありながら、その眼差しの虜になってしまうのだった。
クレジット
監督・脚本:レヴァン・アキン
出演:レヴァン・ゲルバヒアニ、バチ・ヴァリシュビリ、アナ・ジャヴァヒシュビリ 他
2019年/スウェーデン、ジョージア、フランス/113分
U-NEXT:https://onl.la/UVzMbtA
【警告】
ここから先は、かなりのネタバレ注意です。
あらかじめご了承ください。
ネタバレありの率直感想
かつて、映画の題材として「ゲイ」を取り上げる時は「禁断の」という決まり文句が使われていた。
例えば1981年公開の「クルージング」。刑事であるアル・パチーノが、連続殺人事件を調べるためにゲイのレザーマンとして潜入捜査をする物語。ゲイの中でもハードコアなレザー・コミュニティを正面から描いたのは、当時としてはとても衝撃的だった。
例えば1982年公開の「メーキング・ラブ」。既婚男性が野生的な男に出会い自分の内なるゲイ性に目覚めていくことでギクシャクしていく夫婦関係を描いた物語。レザーでも女装でもない、特異な存在ではないゲイを主役として描いたことは「クルージング」とは違った意味でインパクトが大きかった。
80年代後半から90年代中盤にかけては、「Mr.レディ Mr.マダム」「モーリス」「欲望の法則」「トーチソング・トリロジー」「プリシラ」「フィラデルフィア」など、様々な切り口でゲイが中心となる映画が作られていくうちに、だんだんと「禁断の」というイメージは薄れていった。
90年代後半になると、物語の中の「ゲイ」の存在は「心優しき隣人」に変わっていった。映画「恋愛小説家」や、TVドラマ「ウィル&グレイス」「セックス・アンド・ザ・シティ」などはその代表的な例。しかしこれは、ゲイの存在が特別なものではなくなっていく過渡期特有のものだった。
21世紀になると、「ゲイ」は生活の中にいる当たり前の存在として描かれるようになっていく。物語の中には、パワーエリートのゲイや「心優しき隣人」のゲイもいれば、人生に傷ついたゲイも、根性最悪で意地悪なゲイも、はた迷惑な存在のゲイも、ジャンキーもシリアルキラーも異常者もいる。
文字どおり「腫れ物扱い」されなくなっていったのは、時代の変遷をリアルに感じさせる。
「禁断の」というイメージが消え、普通の存在になってくると、「ゲイ」であることだけをテーマに映画を作ることは困難な時代になってきた。当たり前に受け入れられている社会では、ゲイが自分のセクシュアリティに悩む、という視点から物語を構築してもリアリティが生まれない。
「ゲイ」であることの悩みを主題にするならば、時代設定をゲイが「禁断の」存在であった過去にしなければ物語は成立しない。現代の物語として描くならば「ゲイ」であることの悩み以外の主題が必要になる。
カウボーイと農場で働く男たち、という一見似通って見える 2006年公開の「ブロークバック・マウンテン」と、2017年公開の「ゴッズ・オウン・カントリー」を比較すると、理解できるはずだ。保守的な時代・地域・職業の「ブロークバック・マウンテン」と違い、現代が舞台の「ゴッズ・オウン・カントリー」では『ゲイバレしたらヤバいかも』という描かれ方はしていない。
しかし、これはゲイが受け入れられている欧米の先進国の話であり、世界には、現代が舞台でも「ゲイ」であることの悩みを主軸に据えて物語が成立する国もある。その一つがジョージアだ。
ジョージアは伝統的にマッチョイズムが強い国柄で、男は男らしくあれ、という考えが支配的。華やかな民族舞踊”ジョージアンダンス”を踊る国立舞踊団のダンサーも、男らしさを常に求められ続ける。
国立舞踊団に入ることを目指して頑張っている主人公のメラブは、ダンスの才能に恵まれており努力も惜しまないのだが、いかんせんフェミニンな雰囲気が隠せない。指導者からは毎日のように「女っぽい! ナヨナヨするな!」と叱責されている。
そんなマッチョな国であるジョージアでは、ゲイであることは当然ご法度で、「あいつはゲイだ」と噂されることだけでも「誇りが傷つけられた」ことになる。ゲイが当たり前の存在となった国でもはや描けない、「ゲイであること」を主軸にした物語がジョージアでは成立するのだ。
男同士が友情を超えた好意を感じ合う瞬間、そしてそこから先に進むことへの逡巡、抑えきれない激情、人目を忍んで交わす愛情と欲望。周囲にバレたら大変だと知っていながら、感情が先走って緩んでしまう警戒心。2人を取り巻く環境ゆえに起きる感情の行き違い、そして諍い。
ゲイが当たり前の存在ではないからこそ、かつて多くの物語で描かれた文脈に似たゲイのストーリーも陳腐に陥らない説得力を持ちえる。
また、ゲイがオープンではない街のゲイ・コミュニティが描かれるのも興味深い。
女装して公園で売春するゲイが仲間内のボス的存在だったり、知る人ぞ知る存在のゲイクラブなど、1970年代~80年代くらいに日本にも存在していたアンダーグラウンドなゲイ文化そのもの。
この辺りの描写に、先進的な欧米各国や日本では失われてしまった「ゲイ・コミュニティの原風景」を見るような懐かしさを覚える人もいるだろう。世代によっては、知らない世界を覗き見る新鮮な驚きかもしれないが。
この映画は、ゲイに関するストーリーライン以外にも、ジョージアという国を知るという側面もある。
キレのいい動きとスピード感に圧倒されるジョージアン・ダンスの場面は、その迫力から目が離せなくなること確実。メラブが働くレストランで出されるジョージア料理「ヒンカリ」は、なんとも美味しそう。決して裕福ではない東ヨーロッパ(ないしは西アジア)の国の庶民の暮らしぶりが丹念に描写されていることも興味深い。
舞踊団の建物の裏の壁の落書きが、どう見ても「ケモノ(擬人化された動物)」だったり、主人公の部屋の壁に「千と千尋の神隠し」のポスターが貼られていたりと、日本発のサブカルチャーのグローバル化を図らずも実感できたりもする。
クローゼットな若いゲイの悲恋物語としても、圧倒的な迫力のジョージアン・ダンスを堪能する目的でも、また遠く離れた異国の文化を知るという観点でも、楽しめる作品だ。
U-NEXTでは「見放題」ラインアップに入っているが、Amazon PrimeやYoutubeで鑑賞する場合は、課金が必要。
(冨田格)
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