サブスク配信でゲイ映画「君の名前で僕を呼んで」BL文法の映画と思いきや大どんでん返し

Netflix、Amazon Prime、Disney+、Hulu、U-Nextなど、サブスクリプション配信で映画やドラマを楽しめるプラットフォームは増える一方。

そのおかげで、日本で見られる映画やドラマの数は一挙に増加。そんな配信で見られるコンテンツの中から、ゲイが主役または重要な役割を担う作品を連続紹介する連載コラム。

第八回「君の名前で僕を呼んで」

君の名前で僕を呼んで

劇場公開時はボーイズラブ(BL)好きを中心に盛り上がりを見せた、イタリアの避暑地を舞台にした青年2人のひと夏の恋物語。Hulu、dTV、アマゾンプライム(5月31日まで)でサブスク配信中。

目次

・この映画を50文字以内で表してみる
・ネタバレほぼなしの作品解説
・物語
・クレジット
・ネタバレありの率直感想

この映画を50文字以内で表してみる

君の名前で僕を呼んで

ゲイ的リアリティーよりも美しきBL文法で描き出す男同士のひと夏の激しい恋と思いきやラストで大逆転。(49文字)

ネタバレほぼなしの作品解説

君の名前で僕を呼んで

アンドレ・アシマンが2007年に発表した小説「君の名前で僕を呼んで」を映画化。1980年代前半のイタリアを舞台に、17歳と24歳の青年が織りなすひと夏の恋を描いたラブストーリー。

脚本は、「日の名残り」「眺めのいい部屋」「ハワーズ・エンド」「モーリス」などで知られる監督のジェームズ・アイボリーが担当。監督は「胸騒ぎのシチリア」「サスペリア(2018)」などで知られるルカ・グァダニーノ。

第90回アカデミー賞で作品賞ほか4部門にノミネートされ、ジェームズ・アイボリーが脚色賞を受賞。

この映画では長編の原作小説の途中までしか描いておらず、ルカ・グァダニーノ監督は「恋人までの距離」のように、時間をおきながら同じキャストで続編を制作することを考えている。

物語の中心となるカップル、エリオとオリヴァーを演じるのは、ティモシー・シャラメとアーミー・ハマー。

「インターステラー」で知られる主役のティモシー・シャラメは、この映画のヒットで知名度が上昇し、以降「ビューティフル・ボーイ」「ストーリー・オブ・マイ・ライフ/わたしの若草物語」「DUNE/デューン 砂の惑星」と話題作に立て続けに出演してスターへの道を歩んでいる。

「コードネーム U.N.C.L.E.」「ソーシャル・ネットワーク」で知られるアーミー・ハマーは、この作品後も「ホテル・ムンバイ」「ビリーブ 未来への大逆転」「ナイル殺人事件」など順調にキャリアを積んできたが、2021年に交際相手に送っていた過激な性的妄想を記したDMがスキャンダルに発展し、俳優としての将来に暗雲が立ち込み始めている。

物語

君の名前で僕を呼んで

1983年夏、両親と共に北イタリアの避暑地の別荘にやって来た17歳のエリオ。

別荘には毎年、考古学の教授であるエリオの父の助手として大学院生が滞在するのだが、今年やってきたのは、24歳のアメリカ人であるオリヴァーだった。

自信と知性に満ちたオリヴァーを初めは疎ましく思うエリオだが、一緒に泳いだり、自転車で街を散策したり、本を読んだり音楽を聴いたりして過ごすうちに、次第に彼に対して抑えることのできない感情を抱くようになる。

無鉄砲な若さのままオリヴァーに対する思いをぶつけるエリオに対し、一旦はオリヴァーは大人の対応で拒んでみせる。しかし、エリオに対して同じ思いを抱いているオリヴァーも抑えがきかずに、2人は結ばれる。

オリヴァーの提案で「君の名前で僕を呼んで、僕の名前で君を呼ぶ」という恋人同士の符牒を決めた二人は、激しい恋に落ちていく。

そして、夏の終わりとともにオリヴァーが去る日が近づいてくる。

君の名前で僕を呼んで

クレジット

監督:ルカ・グァダニーノ
原作:アンドレ・アシマン
脚本:ジェームズ・アイボリー
出演:アーミー・ハマー、ティモシー・シャラメ、マイケル・スタールバーグ、アミラ・カサール、他
配給:ファントムフィルム
2017年/イタリア・フランス・ブラジル・アメリカ合作/132分

Hulu:https://www.hulu.jp/call-me-by-your-name
dTV:https://video.dmkt-sp.jp/ti/10021989/
アマゾンプライム(5月31日まで):https://amzn.to/3wN5q8o

【警告】

ここから先は、かなりのネタバレ注意です。

あらかじめご了承ください。

ネタバレありの率直感想

君の名前で僕を呼んで

かつてゲイ雑誌の編集をやっていた頃、ある著名なBL作家さんと話す機会があった。その時に、ゲイの作家が描くゲイ小説・漫画と女性作家が描くBL作品の決定的な違いが判明した。

ゲイの作家の小説や漫画は、登場人物は基本的に「ゲイ(バイ)である」とか、「ノンケだと思っていたけど実はゲイ(バイ)だった」という設定が中心。作家も読者もゲイ(バイ)男性なので、物語のキャラクターがゲイ(バイ)であるから、そこにリアリティーを感じるわけで、おかずにすることもできる。

一方、女性作家が描くBL作品においてはゲイ(バイ)であるか、などは重要視されない。「好きになった人がたまたま男だった」だけであり、そこにゲイ(バイ)などという言い訳めいたものは必要としない、と言うのだ。

そのときに、それまで漠然と感じていた、ゲイ小説・漫画とBL作品は「似て非なるもの」である理由が分かった。そして、それ以降BL作品は、ゲイ小説・漫画とは別のものとして楽しむことができるようになった。

君の名前で僕を呼んで

前置きが長くなったが「君の名前で僕を呼んで」の解説を始めよう。

主人公のエリオは、スリムで儚げな雰囲気と、博学で強気な面を併せ持つ複雑なタイプ。博学で強気ではあるものの、まだまだ10代の成長期で、恋する思いをもてあまし、意味なく鼻血が出るわ嘔吐するわと、精神的にも肉体的にも未成熟でアンバランスな状態。

そんな若さを好ましく思う人にはたまらないタイプだろうが、逆に苦手と思う人にとっても堪らない存在。筆者は完全に後者なのだが、ではエリオに感情移入ができないのか、というとそうでもなかった。

ルックスも頭のデキもエリオとはまったく似ても似つかないのだが、筆者にも未成熟でアンバランスな若い時代はあった。エリオが自分の中に芽生えた恋愛感情をもてあましてとっ散らかったり、いきなり鼻血をふき出したり、という部分にはどこか懐かしさを覚えて仕方なかった。

その懐かしさは、愛おしいというよりも、当時の自分を思い返して赤面してしまうような恥ずかしさなのだが、エリオの中に若い頃の自分を投影できる面が見えてくると、途端に感情移入して物語の展開が興味深くなってきた。

相手役のオリヴァーは、大人の男の体つきで体毛もあり男性的な魅力が溢れているタイプ。エリオが苦手な人は、オリヴァーに全神経を集中させて鑑賞するのがいいかもしれない。男女もののAVを見る時に男優に集中したときの感覚を思い出しながら。

君の名前で僕を呼んで

さて、物語が進み、エリオとオリヴァーの関係が近づいていくにつれ、これはゲイ映画というよりもBL作品と呼ぶ方がしっくり来ると感じるようになってきた。

その理由のひとつは、「ゲイ(バイ)であるという設定を必要としない物語展開」であることだ。

エリオもオリヴァーも、どちらもカムフラージュ的な意味ではなく女性に対して性的興味をもっているようで、そんな2人が紆余曲折あって結ばれるのだが、そこに「実はゲイだった」という言い訳感はまったくない。

むしろ「好きになったのが、オリヴァー(エリオ)だった」という、BLの文法で描いていると見る方がしっくりくる。

そして「2人の同性愛関係が周囲の人たちに波紋を起こさない」という点もある。

大前提として、エリオの両親は、高齢のゲイカップルの友人を食事に招くほどゲイフレンドリーな人物ではある。それにしても、エリオの母はエリオとオリヴァーをむしろくっつけたいと願っているようにしか思えず、これじゃゲイフレンドリーというよりもはや腐女子では、と疑いたくなるほど。

またエリオの父にしても2人の関係に理解がありすぎるのだが、そこには理由があり、終盤に父の口からエリオに直接明かされる。

その理由があるにせよ時代設定は1980年代前半、イタリアでユダヤ人で、ここまでゲイがオープンに受け入れられる社会だったとも思えないが、そんなリアリティを求めずにBL文法で楽しむべきだと考え直す。

君の名前で僕を呼んで

両親がエリオに優しすぎるだけではなく、エリオの彼女も負けてない。オリヴァーに対する恋愛感情を持て余してとっ散らかったエリオは、彼女に対してあまりと言えばあまりの冷たい仕打ちをしてしまうのだが、最終的には彼女の方から「怒ってないから」と優しくされて「一生友達だ」とハグし合う。

親も彼女もこんなにエリオに甘いのでは、この未成熟な青年前期の男は一切成長することなく終わってしまうな。まるで「ストーンウォール」じゃないか、と思ったところで、たたみかけるような怒涛のラストシーンに突入。

オリヴァーとの電話によって、エリオを取り巻く環境はあくまで稀有なものであり、ゲイにとっては過酷な時代だったことが判明する。さらにオリヴァーが女性と結婚するということを知ったエリオが暖炉の前に座り込み、炎に照らされながら涙を流し続ける場面が続く。

ただ泣くだけではなく、オリヴァーと結ばれることはないということや、社会ではゲイがどう思われているのかという現実をも受け入れて、表情が大人のそれに変貌していく。未成熟だったエリオの顔つきが締まった男の表情に変わっていく場面を長回しで演出した監督も、演じ切った役者も見事。

君の名前で僕を呼んで

このラストシーンで、そこまで抱いていた印象が180度変わった。リアリティーは求めないある種の美しいファンタジーかと思っていたら、最後の最後で現実を突きつけるという、まさかの「大どんでん返し」。

すっかり監督の手のひらの上で踊らされたような感覚が小気味良く、少し舐めた視線で鑑賞していた己が不明を恥じるばかりであった。

BLファンはもちろんだが、BLの世界に少し抵抗があるゲイ男性が見ても満足できる要素が多い一本。

タイトルにもある、恋人同士の符牒としてお互いを自分の名前で呼び合う点だけは、リアルに置き換えると超ナルシストなゲイカップルとしか思えず、さすがにげんなりしてしまったが。

君の名前で僕を呼んで

(冨田格)


★あわせて読みたい!
サブスク配信でゲイ映画「ストーンウォール」もし見るなら知っておくべき問題点

コメントを残す