マッチョで保守的な英国プロラグビーの世界でカミングアウトした2人の物語
肉体と肉体をぶつけあう激しい競技でありながら、「ラグビーは貴族のスポーツ」と呼ばれる。マッチョで保守的、というゲイであることをカミングアウトするのが困難に思えるラグビー界で、カミングアウトした審判とプロ選手の物語を紹介する。
保守的でマッチョ、そしてソドミー法があった英国
英国のパブリックスクールは、私立学校の中でも上位一割のエリートが集う「特権学校」。パブリックスクールの一つ「ラグビー校」から生まれたスポーツがラグビーだ。
それゆえ、「ラグビーは貴族のスポーツ、サッカーは庶民のスポーツ」と言われることもある。
エリート校で貴族的、そして逞しい男たちのマッチョな世界、この2つが揃えばゲイを公言するのはとても困難だと、誰もが思うだろう。さらに英国にはソドミー法(Buggery法)によって、同性間の性交渉を重罪とする法律が20世紀末まで存在していた。
そんな英国ラグビー界で、カミングアウトした人がいる。一人は国際試合で活躍してきた名審判ナイジェル・オーウェンズ。もう一人は、アイルランドのプロ選手ニック・マッカーシーだ。
ラグビー界で尊敬を集める名審判
2019年の日本でのラグビーワールドカップでも活躍した名審判ナイジェル・オーウェンズは、2007年「Wales on Sunday」のインタビューで、ゲイであることをカミングアウトした。
1971年、ウェールズ南西の村で生まれたオーウェンズは、英国男子らしく学生時代からラグビーを愛していたが、プレーヤーとしての体格と才能には恵まれなかった。16歳の時にレフェリーになることをすすめられ挑戦してみると、プレーヤーよりもはるかに適正があることがわかった。
しかし、オーウェンズは大きな悩みを抱えていた。彼の著書『Half Time』には、こういう記述がある。
「みずからゲイでありたいと望んだわけではなかった。何年もそうではないのだと努めようとした。私に残された唯一の行動、それは周囲が気づく前に人生を終わらせることだと感じた」
1996年4月、当時24歳のオーウェンズは、過食による肥満と筋肉増強剤の過剰摂取、そしてゲイである悩みの重圧から自死を選び、大量の鎮痛剤(パラセタモール)を溶かしたウィスキーを飲む。警察の発見が30分遅れていれば、命はなかったという。
「その日、一晩泣き明かした末、成長しなければならないと気づいた」というオーウェンズは、数年間の葛藤のすえ、父と母にカミングアウトする。最初は複雑そうな表情を浮かべた父も、やがて理解を示した。
「偽りは人格に影響を与える」と考えたオーウェンズは、35歳になる2007年、公にカミングアウトをする決断をした。そのことで反感を買うのではないかと危惧していたが、ガーディアン紙によると「選手や審判はもちろん、観客からも”同性愛”をめぐる罵倒はいっぺんもない」。
ラグビー界は、たしかに保守的でマッチョな面はあるもも、日本代表メンバーにどれだけ外国籍の選手がいるのかを見れば分かるように「多様性」を包摂する面もあるのだ。
2019年の日本でのワールドカップを含めて、通算4回のW杯でレフェリーを務めたオーウェンズは、各国代表の一流プレーヤーから尊敬を集める存在であったことも、ラグビー界の多様性を現していると言えるだろう。
2020年に国際試合のレフェリーを引退したオーウェンズは、長年のパートナーである小学校教師のバリー・ジョーンズ=デイヴィスと共に、子供をもち家族を作りたいと考えているそうだ。
※2019年の日本のラグビーラールドカップでは、スポンサーのエミレーツ航空がナイジェル・オーウェンズを起用して機内での「規律」をコミカルに表現した多数のPVを製作した。
コーチのサポートで自信をもってカミングアウト
アイルランドのラグビーユニオンクラブ「レンスター・ラグビー(Leinster Rugby)」に所属するニック・マッカーシー選手が、今年初めにゲイであることをチームの公式サイトのインタビューでカミングアウトした。
ニック・マッカーシーは、米国ミシガン州で1995年に生まれた27歳。父親がラグビー選手で、姉がホッケーの奨学金を得て米国の大学に進学するなど、アスリート一家に育った彼は6歳のときにラグビーを始めた。その後、ダブリンのセント・マイケルズ・カレッジに入学しラグビーチームで輝きを放った。
ずっとゲイであることを心に秘めてきたマッカーシーは、自分のセクシュアリティが原因でプロのラグビーユニオンを辞めようと思ったことがあると考えていたという。ところが、レオ・カレンとスチュアート・ランカスターという信頼できる2人のコーチにカミングアウトしたことで、彼の考えは大きく変わった。
2人のコーチによるサポートで、ゲイだと公表してもラグビーのスターになることが可能だと知る。そして、2人はチームメイトにカミングアウトできるように、数ヶ月間にわたりマッカーシーを助け、導いてくれたという。
今年の1月、チームメイトにマッカーシーがカミングアウトすると、部屋が「大爆発」したそうだ。マッカーシーはこう語っている。
「カミングアウトしてからの私の経験は、完全にポジティブなものでした。私を気にかけてくれる人は誰もが、私の幸せを願っているのだと気づきました」。
カミングアウトしたことで「肩の荷が下りた」とマッカーシーは感じた。
「何かを背負っていると、最高のパフォーマンスを発揮するのは難しいものです。私の場合はセクシュアリティの問題でしたが、他の人は家庭のことや勉強のことなど色々なことを抱えているでしょう」
カミングアウトして以来、マッカーシーは彼のキャリアで最高のプレーをしているし、オープンな人生を送っている。
ソドミー法で同性愛を厳しく否定してきた英国も、そして保守的でマッチョなラグビー界も、ゲイをカミングアウトしやすい環境に変わってきたようだ。これからも2人に続く、有名選手や審判が登場してきそうだ。
※参考記事:AFP BB News/The Guardian/QUEERTY
(冨田格)
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