【銭湯・電車】あなたはまだ公共空間でハッテン行為をするのだろうか?

「ハッテンはゲイの文化だ」と主張する人がいる。ある意味では間違っていないかもしれないが、だからといって開き直っていいというものではない。ストレートの人たちにゲイの理解が深まる今日、私たちゲイ・バイ男性も公共空間での「ハッテン行為」についてあらためて考え直すべき時がきた。

ジオ倶楽部はひとつ前の記事も見逃せない
【ゲイの恋愛相談】20歳年下の恋人が同居している母親は私と同年代

人が増えるとタガが外れる習性

ハッテン銭湯
イメージ画像

スマートフォンを誰もが持つ今の時代からは信じられないだろうが、昭和の頃はゲイ同士が出会う機会がとても少なかった。

ジオ倶楽部では『昭和~平成、日本のゲイの出会い方はどう変わってきたか?【前編】』という記事でゲイ雑誌が誕生以降のゲイの出会い方の変遷を解説しているが、1970年代にゲイ雑誌が創刊される前にもゲイが出会う場所が口コミで広まっていた。それは主に「夜の公園」だ。

「夜の公園」がハッテン場になるのは日本に限ったことではなく、欧米でも状況は変わらない。日本とは比べ物にならないほど同性愛者への弾圧が強かったキリスト教圏では、たとえばパリの「ブローニュの森」やニューヨークの「セントラルパーク」など、一般の人が訪れない夜の公園に同性愛者が集まり暗闇でひっそりと出会いを楽しんでいた。

当時の日本で有名な「ハッテン場」は、神宮の権田原だった。JR信濃町駅近くで神宮外苑の一角である権田原は、新宿二丁目から徒歩でも行ける都心の公園ハッテン場として1980年代前半まで夜な夜な多くのゲイが集まっていた。

東京近郊に住むゲイだけではなく日本各地のゲイにも有名となった権田原だが、深夜に男たちが集う不審な場所と思われたゆえか、柵で囲われ夜間に入ることができなくなった。

その後90年代前半にかけてゲイが集まるハッテン公園は新宿中央公園に変わり、さらに駒沢公園へと郊外に移動していったが、いずれも男たちが集まりすぎたりマナーが悪いことが問題となって廃れていった。

ゲイの悪い習性として、人数が多くなると人目が気にならなくなり「タガが外れてしまう」という面がある。昭和から平成初期にかけてハッテン公園が盛り上がっては廃れるという流れは、まさに「タガが外れてしまう」ゆえのことだろう。

そして、この習性は今も変わっていないようだ。

スーパー銭湯ブームとインターネット

ハッテン銭湯
イメージ画像

公園とは別に、昭和の時代から特定の「銭湯」「通勤電車(車両)」もハッテン場であると口コミで広がっていた。

さまざまなゲイ・バイ男性が集う場所なので、なかには過激な行動をする人もいたと思う。特にハッテン車両の場合は、女性に対する痴漢と同じように、お触りから始めて行為がエスカレートしていくこともあっただろう。

とはいえインターネットが普及する前の「口コミ」で情報が伝搬する時代は、まだ「人目を盗んで」という意識が強かったのは事実だ。

たとえば、ハッテン銭湯。ある地域では店主自らハッテン行為を黙認しているという噂の銭湯もあったが、これはあくまで特殊中の特殊な例外。かつて銭湯に集っていたゲイたちは、「出会い」の場として利用している人たちが主流だった。

髪型や体型、視線などでゲイか否かを確認し、好みのタイプなら浴槽などで軽いボディタッチや直接声をかけて、銭湯を出てどこか(どちらかの部屋)にしけこむ、という感じで。

ところが平成中期以降、インターネットが広まり携帯電話からもインターネットを介して情報を入手できる時代になると「口コミ」とは比較にならないほどの速度で、ハッテン情報にアクセスするゲイ・バイ男性が増加した。

同じ時期に、かつては「健康ランド」「ヘルスセンター」と呼ばれていた施設が、よりカジュアルで若い世代にも利用しやすい「スーパー銭湯」として全国的に増えていった。いわゆる銭湯よりも広く内湯と露天風呂を備えたスーパー銭湯は趣向を凝らした設備が売りで、人が少ない夜遅い時間は死角となる空間がある店舗も少なくない。

銭湯ハッテンを好むゲイ・バイ男性が、そんなスーパー銭湯を見逃すはずがない。「あのスパ銭はハッテンしやすい」という情報はインターネットで瞬く間に拡散され、口コミの比ではないレベルで多数のゲイ・バイ男性が集うようになっていった。

そして、人数が多くなると人目が気にならなくなり「タガが外れてしまう」というゲイの習性がここでも遺憾なく発動されることとなった。

ミニ・スパ銭に改装した銭湯が狙われる

ハッテン銭湯
イメージ画像

「口コミ」時代のハッテン銭湯は、出会いの場として利用することが主流だった。そうはいってもゲイだと勘違いしてノンケにアプローチしたりなど暴走するゲイ・バイ男性が皆無だったとは思えないが、大きなトラブルの話が伝わってくることはなかった。

ところがインターネットで一気に情報が拡散するようになると、ハッテン銭湯(スパ銭)を直接的な「性行為」の場として利用する人が増えた。一旦「タガが外れてしまう」状態になると、人目を盗んでという意識を最初から持たない人も増加して、大胆な性行為が繰り広げられることになる。

そんな状態になればノンケの利用者とのトラブルも多発して、施設側も監視に力を入れたり営業時間を短縮するなど対策を講じざるを得なくなり、ハッテン目的では利用しづらくなっていく。

最初に紹介した「公園」と同じように、ハッテン目的で人が集まりすぎてトラブルが生じるとその場所は使えなくなり、別のスパ銭に移っていくようになる。

その向かう先にはスパ銭だけではなく、街の銭湯も含まれていた。

スーパー銭湯が一気に増え始めたのと同時期に、利用客が減り続けるなか生き残りをかけてミニ・スーパー銭湯的に充実した施設へと改装を試みる銭湯が現れ始めた。そんな銭湯がハッテン目的の人たちのターゲットにされたのだ。

ジオ倶楽部でもっとも読まれている『ハッテン銭湯と呼ばれて~ゲイのハッテン行為で被害を受けた銭湯店主の本音』と言う記事は、ハッテン銭湯としてインターネットで店名を拡散され被害に遭ってきた店主たちの悲痛な声を掲載したものだ。

銭湯でのハッテン行為の実情を知らない人は、この記事をぜひ読んで欲しい。

ハッテンのトラブルで人生が詰む?

ハッテン銭湯
イメージ画像

今でも銭湯や電車など公共の空間でハッテン行為を続けているゲイ・バイ男性に考えてほしいことがある。

たしかに昭和の頃、同性愛者の存在がアンダーグラウンドなもので、男同士が出会う場所がほとんどなかったという事実はある。その当時は、人目を盗むように公園の暗がりや銭湯、通勤電車を出会いの場として使わざるを得なかったのかもしれない。

しかし、今やスマートフォンを誰もが持ち歩いている時代だ。ゲイ・バイ男性同士が出会うための方法はいくらでもある。そんな状況で銭湯や通勤電車を出会いの場にする理由がない。ましてや公共空間で性行為をすることに理解を示す人は、ノンケはもちろんだがゲイ・バイ男性の中にもきわめて少ないだろう。

さらに、昭和に比べると令和の現在はゲイ・バイに関する理解が広まってきている状態だ。ある面ではとてもいいことなのだが、以前は注目されることがなかったハッテンに関するトラブルも大きく報道されるようになってきたという面もある。

2024年1月17日に公開した記事『【ハッテン好き注目!】銭湯やスパ銭でノンケに手を出すと逮捕される時代』で記したように、銭湯でノンケに手を出したがために110番通報され逮捕されると、現在は実名顔出しで報道されるようになっている(記事内で引用している元記事は1月23日現在削除済み)。

銭湯や通勤電車など公共空間でのハッテン行為には冷たい目が向けられるだけではなく、トラブルが生じたら実名顔出しで報道されて人生が詰んでしまう可能性もある時代なのだ。

それでも、あなたはまだ公共空間でハッテン行為をするのだろうか?

(冨田格)

★あわせて読みたい!
昭和~平成、日本のゲイの出会い方はどう変わってきたか?【後編】

コメントを残す